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シャトー・グリュオ・ラローズ

グリュオ・ラローズ、歴史の意味
8世紀、若きジョゼフ=スタニスラス・グリュオは、テナック、サルテニャックおよびル・メルルの畑を所有していました。1757年にはそれらの畑は「フォンブドー」の名のもとに統合され、この畑は「グリュオ」とも呼ばれていました。伝説の始まりです。
グリュオは1771年になくなり、ギュイヤンヌ地方の家令管区代理官であったラローズ氏にワイナリーは受け継がれます。1781年、新所有者の名が先代の名に加えられ、『グリュオ・ラローズ』が誕生します。
1795年11月28日、ラローズ氏がこの世を去ります。バルグリー家、サルジェ家、そしてヴェルドネ家が新たなシャトー所有者として名を連ねます。1871年、共有資産であったシャトーは、バルグリーおよびサルジェ両家の後継人らによって分割されます。結果、グリュオ・ラローズ=ベトマン、グリュオ・ラローズ=サルジェという2つのシャトーが誕生します。
1917年、デジレ・コルディエは、サルジェ家の所有権買収にこぎつけ、第二次世界大戦数年前にはベトマン家所有分も取得。1935年11月8日、グリュオ・ラローズ=サルジェのオーナーであったデジレ・コルディエは、グリュオ・ラローズ=フォールの所有権を獲得することで、分割されていたシャトーを合併統合する機会を手にします。統合後、ドメーヌの所有面積は137ヘクタール、うち68ヘクタールがブドウ畑となりました。
1983年にはスエズ社がコルディエ社を買収。結果、グリュオ・ラローズの所有権を獲得します。10年後の1993年には、グリュオ・ラローズは工業系企業であるアルカテル・アルストム社に売却されます。
1997年、メドックの複数シャトーを所有していたメルロ家がグリュオ・ラローズを買収し、一族の資産に加わります。
 
一族の家風
グリュオ・ラローズは常に、ワイン造りにおいて、人間の意義向上に努めて来ました。ブドウ畑での作業はもちろん、造り手と畑との間に築かれる関係においてもです。ちょっとした作業であっても大事な作業であっても、人の手なしでは、クリュ職人なしでは、ブドウ樹もブドウ果実も意味を持ちません。
創業以来、以下全4家によりグリュオ・ラローズは受け継がれてきました。グリュオ&ラローズ家、バルグリーおよびサルジェ家、コルディエ家、そしてメルロ家。
近代史を紐解くと、サンジュリアン村の村長を務めたデジレ・コルディエは、1940年に息子ジャンに後を譲っています。
同様に、ジャック・メルロも息子ジャンにグリュオ・ラローズの経営を委ねました。
この家系継承の流れは、従業員雇用にも同様に見られ、シャトーに代々従事しているスタッフもいます。
 
« ワインは太陽の子であり大地の子である。加えて、産科医としての任務も果たした。» ポール・クローデル、フランスの作家(1868-1955)
 
今日の作業が明日の成果をもたらす
生命の意義を尊重すること、それは生命を尊重することです。オーナーであるジャン・メルロの思いは、この格付グラン・クリュからこの上なく自然な表現を備えたワインを生み出すための努力を日々重ねています。
グリュオ・ラローズでは、ブドウ樹の保護・防備に有機対策(有機堆肥、産業廃水処理など)を採用しています。殺菌剤、殺虫剤、除草剤のブドウ畑での使用をいち早く撤廃し、化学物質を使用した処理を行うかわりに、手作業あるいは機械による管理へと転換しています。
アルティザン(職人たち)は、実に繊細なブドウ畑の管理にあたっています。自然や天候との密接な関係の中に、農業を営む上で重要となる観察眼が育まれます。